8月10日(金曜日)
キュルチュール一行のフランス語強化計画が進んでいた。4人一緒ではなく、宿舎も二人ずつに分け、活動班もばらばらにし、日本語の使用は禁止。
子供達の疲れが見え始める。訳もなく、泣いている子が一人。いじけて、地面に穴を堀り、集団から離れている子が一人。
午前中は障害物競争ならびに、馬の美容コンクールだった。
馬場の中にポールが3つ。自分で右、左をコントロールして倒さないように蛇行しなければならない。それが終わったら、馬を白い大きな紙が張ってあるボードに近づける。絵の具と筆が用意してあり、馬上で、壁に何か描く。それが終わったら馬からおり、綱を引いて、自分は平均台のように長細いベンチの上を歩く。そのまま綱をひいたまま、身を屈めて低い棒の下をくぐる。
そこから出てきたら、再び馬に乗る。馬場の場外に出て、壁から木に引いてあるひももの下を馬に乗ったままうまく潜り抜け、壁の上に置いてある缶から、松ぼっくりをだして、壁に沿って馬を歩かせ、壁の切れ目に置いてある缶に再び松ぼっくりをいれる。
馬を歩かせ、坂を上る。
坂の途中にも松ぼっくりを取り出す缶が一つ。取り出した松ぼっくりを指定された箇所にそれぞれ置いてゆく。
それが終われば馬を走らせ、後は少しでも早くゴールを目指す。
最初から最後まで、先生はタイムをはかっている。まだ馬を始めたばかりの初心者も多く、さっぱり分からない子達は先生が大分手伝っていた。
中級部門の1等賞は、キュルチュール組の男の子。
一人一人競技に参加するため、終了まで時間がかかった。その間、皆自分に割り当てられた馬のデコレーションをする。
いざデコレーション品評会。皆自分が飾った馬をつれて、馬場に入る。綱を引いている。馬場に入ってぐるぐる周り始めたら、どの馬をいっせいに糞をし始めた。湯気と臭気のもうもうたるフレッシュな糞の山にもかかわらず、子供達は回る。
ストップがかかり、一人ずつ、自分の馬の連れて、審査員の前へ出る。何が工夫した点かを説明し、アピールする。キュルチュール組は声が小さかった。声さえ出ていれば、容易に伝わることが、全然聞こえず、理解されなかったのは残念だった。
馬の前髪をちょんまげ風に結んだ子もいた。ちょんまげの説明がなく、これもまた理解されなかったのは残念だった。
昼食。レンズ豆。グリーンピース、米、七面鳥のロースト、チーズ、そしてケーキ。
この日はキュルチュール組の男の子の一人の誕生日だった。長細いシンプルなキャトルカール。色とりどりのろうそくがたっている。その中に「7」と「2」の文字が。くちぐちに72歳か?と子供達が聞く。「9」だけが丁度なく、7+2=9 なんだそう。
誕生日の歌大合唱の後、ろうそくの吹き消し。金色の箱をあけると、色とりどりのテープがぐるぐると中で渦巻いている。そこからでてきたのはカラフルな独楽。
ジュヌヴィエーヴの心遣いに感謝した。
その後ひるねタイム。宿舎は遠く、昼寝の間インストラクターが一緒にいる。
それぞれ本を読んだりして休憩していることも多く、必ずしも寝ているとは限らないらしい。
この日はキュルチュール組以外の子供は帰宅の日。そわそわと落ち着きがない。
昼寝以降のアクティヴィティーはだれていた。おやつの後、もり上がりに今一つ欠けるすごろくをする。
エメラルド校長のジュヌヴィエーヴの孫娘がいた。名前はリーズ。生き生きと人なつっこい。何でも認めてもらいたい。常にほめられていたい。相当な馬の乗り手であると同時に相当な気まぐれかつわがまま。
エメラルドの活動に参加するのは、2、3才の頃から。自宅で要求される技術に飽き足らず、別のスクールに通って、訓練を繰り返しているという。
ジュヌヴィエーヴによると、この地方には、「アンデュロンス」と呼ばれる訓練があると言う。水の少ない乾いた山道など、容易ではない80キロの行程を一頭の馬の一人の人間が
ともにする。競技の要点は、いかに馬を疲弊させずに80キロもたせ、ゴールまで行き着くか。馬の健康を管理し、その時々の状態を気遣い、時としては降りて、馬を引き、困難を克服させる。
南仏は水に乏しい乾いた土地。このような訓練をするのは伝統の知恵だという。リーズはこの研修に毎年夏3週間参加するそう。
また、「アンデュロンス」を通して育てられた馬は、水分の少ない、過酷な環境に強く、この地方の南仏生まれの馬がかなりいい値段で、ドバイの市場に出されて、売られてゆくという。
いい馬を育てて、売る事も彼らの活動の一つであるという。
2008年8月10日日曜日
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