8月11日(土曜日)
ポニースクール エメラルドは休みの日。キュルチュール一行以外の子供は誰もいない。インストラクター達と、家族だけ。孫娘のリーズがカーボーイのような皮のブーツをはいて、干し草を運んでいる。
私たちはアブラムさんのミニバスへ遠足に出かけた。
まず目指したの Grotte des Demoiselles 洞窟である。白い岩肌の見える大きな木の生えていない乾いた山の数々、広がる草原、時々のワイン畑。いかにも乾いたガリーグの風景の中を飛ばすこと1時間程度。洞窟についた。
案内されたのは地下の絶壁だった。ありとあらゆる大きさの、赤土色のパイプオルガンを浮かばせたような風景が暗闇の中に広がっている。が、すぐ手すりの下は50メートル以上の深み。谷底は見えない。
ところどころで止まり、説明を聞く。地上に落ちた水が土に染み、根に吸収濾過され、地質の内多くを占める石灰と科学反応を起こし、石灰が溶け、つらら状の鍾乳を形成するのだそう。1センチから20センチまでの形成にかかるのが約百年。下に垂れたものの蓄積と上からつらら状に下がったものがやがて、くっつき柱となる。くらげの積み重なったような形のもの、縦の帯が集まったようなもの、十メートル以上の柱が角度と位置を変え、ありとあらゆるところにあった。
この場所の名称は、Cath?drale souterraine 地下の大聖堂。
昔、20世紀初頭、まだ洞窟が整備されていなかった頃、村から洞窟の入り口まであがってくるのに2時間。地元の人はこれをウォーミングアップと呼んでいた。
洞窟内に道なし、階段なし。ターザンのように綱をゆらして、僅かな足場から足場へ移動したり、岩に打ち込まれた鉄のコードにへばりついて、滑る岩場を伝っていったり、眼の前に広がる幻想的な風景に心奪われながらも、地下の大聖堂の深淵を巡り、下まで降りるのは14時間の命がけの行程だったという。
シュールレアリズム宣言のアドンレ?ブルトンもここを訪れ、感銘を受けたそう。
誰だって感銘を受けるだろう。「驚き」の光景だから。
同じ鍾乳洞の材料を削って作っただろうか。石のしっかりとしたてすりと階段は有り難い存在だった。
洞窟内は年間を通して14度。貸し出し用の赤い毛布にくるまった見学者もいた。
洞窟を出て、さらに車を走らせること30分強。Saint-Laurent le Minier 河の岸辺についた。上流の滝から下流の石の橋まで、5、6百メートルの「川浴場」。賑わっていた。石の橋の下の日影でピクニックをする。エメラルドの校長、ジュヌヴィエーブが作ってくれたトマトとハムとチーズのフランスパンサンドイッチ、ゆで卵、桃にりんご、水。
荷物を移動して、いよいよ河へ。山の湧き水は冷たいが、透明。メダカのような小さなな魚が泳いでいるのが見える。薄い緑色の体長10センチほどの魚も2、3の列を作っている。
底は岩、段々が重なり、砂利、大きめの石と二つと同じ場所はない。岩と岩に塞き止められた所は水流が速い。そのすぐ下は深く、水の色が濃くなる。近くで見れば透明。遠く全体を見渡せば緑色。深緑から、エメラルド、薄い黄緑までニュアンスは豊富。橋から河に飛び込む人多数。橋から水面まで10メートル以上。橋のすぐ下の水は濃い緑で底が見えない。
上流は滝で行き止まりになっている。激しい勢いで水が落ちる。滝の下に通じる岩が一つ。岩の上にも水は激しく流れる。激しい水の流れが、下にも小さな滝を作り、この「川浴場」で最も深いと思われる濃いグリーンの淵へと続き、またそこからも速い流れが下流へと続いている。
キュルチュール一行の女の子ひとり、男の子ひとり、お母様にひとり、岩を洗う流れを物ともせず、滝の裏側へ行ってしまった。水の向こう側からピースをしている。そしてまた戻ってきた。
肌を焼く太陽がじりじりと熱かったにもかかわらず、川の水は冷たくて、最後まで、慣れることはできなかった。
7時にエメラルドに帰宅。
夜も先生達とゲームをして、22時頃就寝したと翌日聞く。翌日、川で使った水着がちゃんと干してあった。
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