2008年8月17日日曜日

旅行を終えて、

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旅行を終えて


まず、この旅にて出会った人々は、暖かく、寛大で素晴らしい方ばかりでした。


エメラルド創始者のジュヌヴィエーヴ?ラフックス、娘のフレデリック、その娘のリーズ、その父のフィリップ、タクシードライバーのクロード?アブラアム、民宿ロンジチュード?オーナーのグザヴィエ?オレル、子供達と寝食をともにして片時も離れない先生のマリーとアルノー。子供達に乗馬を教えるマリン。マリンの友達で、馬の体のボキャブラリーなどペーパーでの知識を教えるフレディ。


子供達の乗馬の上達には驚きました。滞在中、基本的にずっと同じ馬に乗り、同じ馬の世話をし、馬と慣れること、子供の人数に対して馬の数が十分あり、練習の機会が豊富であること、午前中毎日4時間乗馬をするため、習得のための時間が沢山取られていること、どのポニーもエメラルド生まれで、性質がよく、おとなしく、辛抱強く、躾が行き届いて、子供を振り落としたり、蹴ったりしないこと、インストラクターが馬達を完全に掌握し、制御していることなど、学習に有利な条件が揃っています。


またこの滞在は、普段フランス語を勉強している子供達にとって、非常に貴重なフランス語実践の機会でした。


校長のジュヌヴィエーブ自身、以前、英語とフランス語とバイリンガルの幼稚園に自分の子供達を通わせていたこと、インストラクターの中には、南仏に6年住み、現在帰国先のベルリンでフランスリセに通っているドイツ人(フレディ)もいて、フランス語を学ばさせたい、使わせたい、という私の意向をよく理解してくれる環境でした。


子供達は朝8時に起きてから、夜10時寝るまで、13時半から15時位までの昼寝も含めて、インストラクターの先生(今回の滞在ではマリーとアルノー)と離れることは一切ありません。今回は初めてであったために付き添い、滞在の様子を逐一報告することに専念いたしましたが、エメラルドに泊まれる6才以上の子供に関しては、日本から保護者が同行し、人手として、子供の安全確保を行う必要はありませんでした。


エメラルド滞在については、エアフランスの子供一人旅をサポートするサービスをつけて、飛行中とパリでの乗り換えの世話、モンンペリエ空港でエメラルドの迎えへの引き渡しを頼めば、子供だけでフランスへ送ることも十分可能であると思いました。


また、この旅の主眼は、子供をポニースクール滞在であったため、子供達と洞窟と川へ行った以外、観光はしておりませんが、セヴェンヌは、中央山塊(マッシブ?セントラル)と並んで開発を免れた、フランスにおいて最も自然が残る地方の一つ。ハイキング、カヌー、乗馬、陶芸など大人がヴァカンスを満喫するための要素も豊富です。


今後の計画ですが、子供に関しては、フランス語鍛錬のため、小さな日本を持ち込まないよう、少人数で順番に、子供だけ日本から送ることも検討します。


平行して、大人のための旅行も開催し、一人旅が初めてで不安な子供は、大人のための旅行開催時に私が現地へお連れいたします。


大人のためのセヴェンヌ旅行は、避暑を兼ねて日本が最も暑くなる時期を選び、現地の素晴らしい人々と皆様を引き合わせ、美しい風景を発見し、アウトドア・アクティヴィティーを楽しんで、自然を満喫して頂きたいと考えております。


最後になりましたが、同行した私の父に優しいお心遣いを頂き、また、楽しい旅の場面のひとつひとつを分ち合ってくださった、幼稚園生のお母様お二人に厚くお礼申し上げます。

2008年8月16日土曜日

最終日。

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8月16日(木曜日)

予定にはなかったが、午前中乗馬授業。子供達は滞在期間中毎日ずっと同じ馬に乗ってきた。


その後、荷造り。ポニーとも、先生とも、友達とも、この場所ともお別れ。


みな住所交換をしていた。


ここのインストラクターは、皆、8才9才の子供の頃からここに通っていた人ばかり。


中には、子供の頃から通い、インストラクターになり、後に結婚し、今はリヨンに住んでいるが、長期の休み毎に子供を送り、2世代で通っている人もいる。


若いインストラクター達が生き生きと懸命に、持てる力の全てを発揮して働いている姿も印象的だった。


私たちも再び戻りたいと考えながら、空港へ向かった。

2008年8月15日金曜日

村祭りに行く

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8月15日(水曜日)


午前中 乗馬レッスン、2グループに分かれる。


第一のグループは乗馬で、敷地内を散歩。右に曲がる、左によける、左に曲がる、止まる、歩かせるといった馬場内の練習が生かされる。敷地ないの散歩道においても、歩きから、早足へ、スピードを変える練習もしている。


第二のグループは、馬場内でvoltige(曲馬)の練習。


この日は、インストラクターのマリンが敷地内の散歩に付き添い、ジュヌヴィエーブの娘のフレデリックがインストラクターをしている。


馬の上で右手を前、左手を後ろに、左足を前に、右足を後ろに伸ばすポーズを取る。さらに馬の上で立ち、手を水平にする。


思えば、8日から一週間。初日と同じ練習に、子供達の進歩は明らか。


昼食後、再び揃いのTシャツを着て、ポニーで年に一度の村の夏祭りにゆく。沢山の出店があり、トランポリンやメリーゴーランドなどのアトラクションもあった。子供達はそれぞれ蝶や猫など、顔に描かれて帰ってきた。

2008年8月14日木曜日

わがままの利かない集団生活。

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8月14日(火曜日)


朝、馬の世話、ブラッシング。


わがままの利かない集団生活、寮生活に疲れてきた様子のキュルチュール組。


「みんなでアニメ見る時と買い物の時が一番幸せだなあ」(週に1度土曜日の夜テレビが見れるらしい)などとつぶやいている。「そろそろお下着がない」(男の子談)の声も。ジュヌヴィエーヴに話して、「何でも洗濯してくれるって」と言ったら「ヤッター」と小躍りして喜んでいる。いずれにしても東京とは隔世の観がある。


まず、初心者のグループが馬に乗る。これまでの総復習。右に曲がる。発せられる言葉は「Ecartez la main !」脇は閉めたまま、肘から手までの腕を扇のように開く動作をインストラクターは繰り返す。「Ecarte la main ! Mais ne tire pas !」(手を開いて、でも引くんじゃない!)という注意も繰り返される。


「Quand tu tires, le poney, il a mal, Tu comprends ?a ?」
(引けば、ポニーは痛いんだよ、分かる?)


「Ecarte la main, puis pose la main !」
(開いたら、手は置く!)


これもよく繰り返される言葉。馬上で慌てる子供は、右に曲がったあと手を浮かせてたまま、左にも開いてしまう。


「Si vous ?cartez ? droite et ? gauche, le poney ne comprend pas o? aller !」
(右にも左にも開いたら、ポニーはどっちに行っていいか分からないよ)


「Ecoute, c'est tr?s simple ! Si vous allez ? droite, vous ?cartez ? droite, si vous allez ? gauche, vous ?cartez ? gauche. Il n'y a que deux gestes ? faire !」
(右に行くときには右に開く。左へ行くときは左に開く。やることは二つだけ、簡単でしょ!)


馬場においた、三角の赤い4本のポールの脇を右に左に、自力で蛇行できるようになるまで、練習は何度でも続く。1グループ約6名。練習時間は約2時間。


その間、中級グループは、栗の木の下で、手綱の部分のボキャブラリーをプリントで学び、色を塗っている。


彼らが馬場に入る番になった。やはり、歩く、右に曲がる、左に曲がる、止まる、の基本動作から始まる。皆基本動作が安定して、確信を持って行っている。


早足もお手の物。ここで習ったのだろうか? キュルチュール組の男の子の一人は舌を鳴らすかけ声も心得ていて、馬はすぐに早足に移行する。馬の大きさと彼の背丈のバランスがよく、背筋を伸ばした馬上の姿も決まっている。


中級組に入ったキュルチュール組の女の子、全くの乗馬初心者であったにもかかわらず、基本動作の安定した習得が素晴らしい。


初心者の練習に加えて、全員が合図に合わせて一斉に左折し、そのまま前へまっすぐ進む練習もする。


基礎動作が終わったら、両側二つのプラスチックの台に渡した棒を馬に飛び越えさせる練習。最初は地上10センチ程度。なんのこともなくどの馬も通り越して行く。


次に棒は30センチ程度の高さまで上げられる。障害を前にしてひるむことなく、馬の腹に踵を打ち、スピードを落とさないようにしなければならない。タイミングをはずすと馬は躓く。足の間に棒を入れたまま進み、積み重ねたプラスチックの台が音を立てて崩れる。


中級者のレッスンもやく2時間。インストラクターは一貫してMarin。声を枯らしていた。午前中の通しの4、5時間の授業が終わった後、友達におぶってもらって移動し、ベンチに仰向けに寝て、さらに、食卓に突っ伏していた。


昼食は、パスタ、ハンバーグ、チーズ、メロン。


午後、子供達は竹やぶの中で山小屋作り、さらにかくれんぼ。それから放牧場にボールをもって移動して、激しくボール遊び。


帰ってきてから、山道を2、3キロ登って、やぎチーズ農場を見学。ヤギ農家までの道中の風景は美しかった。道の右側は谷。栗の木が生い茂り底は見えない。川が流れているようにも見える。あるいは、雨不足で干上がってしまった川底かもしれない。谷の向こう側の山の中腹のどうやって辿り着くのか検討もつかないところに、石造りの家が点々としている。その家から谷間を見下ろす絶景と同時に、そんな世の中と隔離されて住むしんどさも想像される。勝手に自分の黒い馬を連れきたリーズが、谷間に響くように声の限りに歌っている。


ヤギ農家で子供達は搾乳体験。農家の人が家族ででてきた。親子、兄弟、顔が酷似している。訛りが強く、言葉の区切れがはっきりせず、何を話しているのか聞き取りにくい。が、すでにチーズの研究のためにここを訪れた日本人があると聞いて驚いた。


AOCをすでに2000年に獲得したPelardon を作っている。


ここのヤギは美しく、瞳孔も丸くて可愛かった。皆、首に鈴をつけている。


帰りも歩き。東京ではこんなに歩かない。子供達には、くだくだと文句を言う習慣がないらしい。


エメラルドに戻ったのは9時。まだ日は落ちず、明るい。ようやく栗の木の下で夕食が始まった。

2008年8月13日水曜日

朝市に行く

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8月13日(月曜日)



朝、馬の世話。ブラッシクグ、蹄の掃除。



子供達は全員エメラルドの揃いTシャツをきている。月曜日はラサルに朝市の立つ日。それぞれ5ユーロのお小遣いをもって、ポニーで朝市に出発する。 二人に一頭のポニー。片方が行きに乗り、もう一方が帰りに乗る。車道に出て、坂を下り、橋を渡り、45分位の行程。浅い川岸の木陰に綱を張り、ポニーをつなぐ。周りは草地。そこから子供達は2班に分かれて先生に付き添われ、朝市へ行く。揃いTシャツは朝市の人ごみの中ですぐに自分達を見分けるため。



朝市は思いの他賑わいだった。野菜、果物、肉、魚、チーズ、カフェの店先で、大鍋からパエリアの皿売り、蜂蜜や、おもちゃや、服や、テーブルクロスや、古本屋、靴屋、ナイフや、ジャムや、帽子や。。こんなにここに人がいたとは思わなかった。川遊びに出かけたにしろ、11ヘクタールのエメラルドに籠ること1週間弱。正に下界に降りる気分だった。



皆思い思いの買い物をした模様。羽付きの霧吹き。涼しい風と同時に水も受けることができる。どこをどうして流通してきたのか、最も引っ込んだフランスのド田舎まで辿り着いた、5ユーロで買える中国製たまごっち。私は装丁の美しいジューヌベルヌの「世界一周80日」を9ユーロで購入。その他、「滲みになりにくい」テーブルクロスというものを数枚買う。



ラベンダーの蜂蜜を味見る。とてもおいしい。小さな瓶の250グラムで、たまごっちより高い8ユーロ。
ポニーのところに戻った子供達は草地でめいめいに遊ぶ。買ったものを見せ合っている。乗馬用のヘルメットを被り、川の浅い水辺を引いてもらって、ポニーに乗る子もいる。水の中をじゃぶじゃぶ歩く子もいる。若いインストラクター達も朝市で買ってきた漫画を読んでいる。



数時間後にジュヌヴィエーヴが車で現れ、昼食が着いた。トマトとハムとチーズのサンドイッチ。水。桃。
昼食後、3時半までさらに遊び、馬に乗って帰る。帰りはひたすらの登り。じりじりと焼くような太陽の下、馬も人間も疲れた。馬をつないで、手を洗い、すぐにおやつ。水をのみ、タルティーヌ(パンにチョコレートクリームあるいは蜂蜜を塗ったもの)を食べる。「もっと食べたい人」(Qui veut encore une tartine ?)の声に一斉に手が上がる。食べたら馬の世話。世話が終わったと思ったら子供達は、山小屋作りに、インストラクターに伴われ、竹やぶの中に消えていった。



幼稚園組は宿へ帰る。アンディーブと胡桃とトウモロコシと黒オリーブののサラダ。サーモンとトマトのタルト。セモリナ粉のプディング。プディングは冷たくておいしかった。

2008年8月12日火曜日

新しい友達。

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8月12日(日曜日)



エメラルドの滞在日程は、日曜日から金曜日まで。日曜日は新たな子供達の到着の日。パリ出身の親、モンペリエで骨董屋を営む親、マルセイユ在住の親、様々な親が到着し、子供を置いてゆく。その度に校長は出迎え、方々を案内し、説明を繰り返す。



着いた子供達はまずポニーにブラッシング。指示もなく、適当に過ごす。そこらへんで勝手に遊ぶ。日本ではその場の空気で「テキトー」に遊べても、フランス人の「テキトー」はちょっと匙加減が分からない。指示を懸命に待つ真面目な日本人の子には少し埋めるのが難しい間。
何となく一緒にいて、何となく遊びが成り立つ、その「適当」の空気を感じてほしくて、あえて仕切らない、手助けもしない。



小さい子達が「場の空気」に取り組んでいる間、小学生達は乗馬の復習をしていた。相変わらずに馬についているのは手綱だけで、鞍はない。右に曲がる、左に曲がる、止まる、早足にさせる、進める の基本操作の復習。習得は確実である。コーナーをきちんと曲がる事を「Coin 角」と呼んでいた。「コーナーをしくじったらデザートはないと思いな!(日本語訳すると)」と、若いインストラクターが叫んでいる。デザートは通常一人桃1つ。子供達が現実的にどれほどこの果物を食べ損なうことを恐れているかは疑問だったが、皆の顔は真剣。日本語を使うと同じ調子で「En fran?ais !」と怒鳴られる。



復習の次は、2チームに別れ、真ん中の台に置いた松ぼっくりを取り合うゲーム。それが終わると馬上鬼ごっこ。



最初鬼を一人決める。鬼になった子が馬上から、別の馬にタッチしたら、その馬に乗る子も鬼になる。こうして鬼が増えゆく。馬の操りのうまい子は狭い馬場の中を時には早足、時には右へ、左へ曲がり、うまく鬼をかわしてゆく。最後に残ったのはキュルチュール組の男の子の一人。見事な習得ぶり。



馬にブラシをかけ、放牧地に戻しにゆく。そして昼食。



トマトとパプリカのサラダ、トマトと米とツナのサラダ、ゆでた大量のいんげん、鶏の胸肉、チーズ、桃。
キュルチュールの子供達は食卓でも固まらないように、3つの食卓に分けられる。



昼食後初めて、新しい子供達を含めた全員が輪になって集まった。エメラルドの敷地は11ヘクタール。広大である。行き先を告げずにどこかへ行っては行けない。馬の放牧場に一人で行っては行けない。竹やぶに許可なしに入ってはいけない。許可なしに一人で宿舎に帰ってはいけない。電気のつけっぱなし、水の出しぱなしは厳禁、携帯禁止、ゲーム禁止といった、約束事が言い渡される。



それが終わると、皆で輪になって座ったまま、好きな食べ物ゲームが始まる。順番に好きな食べ物を言い、その頭文字のアルファベット順に並ぶ。場所を類推して座らなければならない。基本的なつづりとアルファベットが分かっていなければ参加できない遊び。場所が分からなくなってしまったら、自分で場所を見つけ出すまで、いろんな子に好きな食べ物を聞かなければならない。



それが一段落すると、午後の活動について、皆にやりたいことを聞く。馬で散歩が多数決で決まる。その後子供達は、それぞれポニーに乗って、敷地内をぐるりと一周した模様。私は、栗の木の下でジュヌヴィエーヴの話を聞いていた。



ジュヌヴィエーヴの話1:この土地の批判精神、並びに戦時中のレジスタンス、およびこの家(Borie neuve)に戦時中かくまわれていたユダヤ人の女の子の話。



この地方は宗教戦争が激しかった。カトリックを押し付けたい国家に対して、頑強な抵抗をしてプロテスタントの土地である。だから、一般に人々は批判精神に富み、頑固である。第二次世界大戦中もレジスタンス運動に参加する人々を輩出している。



この農家Borie Neuveに当時住んでいたのは、今も存命の土地の農民夫婦である。パスターの勧めで、三歳のユダヤ人の女の子を預かる。ユダヤ人をかくまっていることが分かったら、本人だけでなく、かくまった人間も強制収容所行きである。



同じ村に危険なコラボラトリス(対独協力者)もいた。その子は、子供のいない夫婦の姪として育てられる。



戦争が終わって、生きながらえた親が帰ってきた。7才になった子供は親を覚えていなかったが、女の子は去っていった。



そして戦後半世紀、Medailles des Justes 正義のメダル が、第二次世界大戦中、ユダヤ人を助けた善意の人々に与えられる。Borie Neuveに住んでいた農民夫婦にも。



白髪の紳士の中年の女性(子供を預けた父と当時3歳だった娘)がやってきて、テレビ中継の下、現エメラルドのテラスの上で、メダルの授与が行われた。



その日もポニースクールは開催。Borie Neuve で3歳から7歳までの4年間を過ごした女性が、この木に登った、ここで遊んだ、と思い出を子供達に話す。急に、そこにいた子供達にとって、第二次世界大戦は抽象概念ではなく、「自分と同じような子供が本当に生きた話」へと変わった。



老夫婦の名は Odette et Jules H?brard。今も村のエメラルドから20分の所で生活している。



ジュヌヴィエーヴの話2:エメラルドの創立單、並びに、エメラルドを題材に撮影されたドキュメンタリー映画の話



研究者としてパリに住んでいた。自分の子供と親類の子供のためにポニーを買った。義理の父親がノルマンディーに農場を所有しており、ポニーを置かさせてもらうことになっていたが、直前になって断られた。しかたなしに、ポニーを別の農家に預け、休みの度に子供に乗馬をさせる。これが1971年。
子供が成長し、パリのアパルトマンが小さくなった。別のもっと大きなアパルトマンを買う代わりに、ノルマンディーに大きな農場を買った。自分の子、親類の子に乗馬を教えるうちに、他所の子も農場に預かって教え、スクールになった。



そして1973年の夏のバカンスの後、研究職に戻ることはなかった。



70年代、子供が農場に滞在して、乗馬を学ぶ G?tes equestres des enfants は他に例がなかった。



Le Figaro Magazine に見開き5ページに渡るカラーの記事が掲載される。この記事を見て、カリフォルニアから駆けつけた生徒もいると言う。



その後もたびたびメディアに取り上げられる。



80年代に離婚。ポニーの半分と娘を連れて、先祖伝来の土地 Lasalle へ南下する。今11ヘクタールの土地と、18世紀に立てられた石作りの農家2件を所有する。すでにローンは支払い済み。



モンペリエにも遺産相続した、先祖伝来の家がある。息子は建築家としてモンペリエに住む。農場?スクールは、娘のフレデリックと現在共同経営。



ここにポニーをしにくる子供の親に、映画のシナリオライターがいた。ジュヌヴィエーブは、エメラルド紹介ビデオを作ってくれ、と彼に頼む。3日の撮影予定が、12日間となり、出来上がったドキュメンタリーは、モンペリエで開催された地中海映画祭に出品され、受賞する。



作品では、パリの国立科学研究所(CNRS)に勤める生物学の研究者がいかに一転、農場経営者、ポニースクール主催者となり、調和の内に、広大な所有地において動物達とくらしているかが描かれている。



美化することもなく、宣伝くささもない。最も伝わってくるは、追求した物をを生きている間に獲得出来た、もう若くはない人(撮影当時69才、現在72才)の謙虚な幸福である。


2008年8月11日月曜日

ミニバス遠足!洞窟、大聖堂!

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8月11日(土曜日)



ポニースクール エメラルドは休みの日。キュルチュール一行以外の子供は誰もいない。インストラクター達と、家族だけ。孫娘のリーズがカーボーイのような皮のブーツをはいて、干し草を運んでいる。
私たちはアブラムさんのミニバスへ遠足に出かけた。



まず目指したの Grotte des Demoiselles 洞窟である。白い岩肌の見える大きな木の生えていない乾いた山の数々、広がる草原、時々のワイン畑。いかにも乾いたガリーグの風景の中を飛ばすこと1時間程度。洞窟についた。



案内されたのは地下の絶壁だった。ありとあらゆる大きさの、赤土色のパイプオルガンを浮かばせたような風景が暗闇の中に広がっている。が、すぐ手すりの下は50メートル以上の深み。谷底は見えない。



ところどころで止まり、説明を聞く。地上に落ちた水が土に染み、根に吸収濾過され、地質の内多くを占める石灰と科学反応を起こし、石灰が溶け、つらら状の鍾乳を形成するのだそう。1センチから20センチまでの形成にかかるのが約百年。下に垂れたものの蓄積と上からつらら状に下がったものがやがて、くっつき柱となる。くらげの積み重なったような形のもの、縦の帯が集まったようなもの、十メートル以上の柱が角度と位置を変え、ありとあらゆるところにあった。



この場所の名称は、Cath?drale souterraine 地下の大聖堂。



昔、20世紀初頭、まだ洞窟が整備されていなかった頃、村から洞窟の入り口まであがってくるのに2時間。地元の人はこれをウォーミングアップと呼んでいた。



洞窟内に道なし、階段なし。ターザンのように綱をゆらして、僅かな足場から足場へ移動したり、岩に打ち込まれた鉄のコードにへばりついて、滑る岩場を伝っていったり、眼の前に広がる幻想的な風景に心奪われながらも、地下の大聖堂の深淵を巡り、下まで降りるのは14時間の命がけの行程だったという。



シュールレアリズム宣言のアドンレ?ブルトンもここを訪れ、感銘を受けたそう。



誰だって感銘を受けるだろう。「驚き」の光景だから。



同じ鍾乳洞の材料を削って作っただろうか。石のしっかりとしたてすりと階段は有り難い存在だった。



洞窟内は年間を通して14度。貸し出し用の赤い毛布にくるまった見学者もいた。



洞窟を出て、さらに車を走らせること30分強。Saint-Laurent le Minier 河の岸辺についた。上流の滝から下流の石の橋まで、5、6百メートルの「川浴場」。賑わっていた。石の橋の下の日影でピクニックをする。エメラルドの校長、ジュヌヴィエーブが作ってくれたトマトとハムとチーズのフランスパンサンドイッチ、ゆで卵、桃にりんご、水。



荷物を移動して、いよいよ河へ。山の湧き水は冷たいが、透明。メダカのような小さなな魚が泳いでいるのが見える。薄い緑色の体長10センチほどの魚も2、3の列を作っている。
底は岩、段々が重なり、砂利、大きめの石と二つと同じ場所はない。岩と岩に塞き止められた所は水流が速い。そのすぐ下は深く、水の色が濃くなる。近くで見れば透明。遠く全体を見渡せば緑色。深緑から、エメラルド、薄い黄緑までニュアンスは豊富。橋から河に飛び込む人多数。橋から水面まで10メートル以上。橋のすぐ下の水は濃い緑で底が見えない。



上流は滝で行き止まりになっている。激しい勢いで水が落ちる。滝の下に通じる岩が一つ。岩の上にも水は激しく流れる。激しい水の流れが、下にも小さな滝を作り、この「川浴場」で最も深いと思われる濃いグリーンの淵へと続き、またそこからも速い流れが下流へと続いている。



キュルチュール一行の女の子ひとり、男の子ひとり、お母様にひとり、岩を洗う流れを物ともせず、滝の裏側へ行ってしまった。水の向こう側からピースをしている。そしてまた戻ってきた。
肌を焼く太陽がじりじりと熱かったにもかかわらず、川の水は冷たくて、最後まで、慣れることはできなかった。



7時にエメラルドに帰宅。



夜も先生達とゲームをして、22時頃就寝したと翌日聞く。翌日、川で使った水着がちゃんと干してあった。



2008年8月10日日曜日

フランス語強化計画進む!

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8月10日(金曜日)


キュルチュール一行のフランス語強化計画が進んでいた。4人一緒ではなく、宿舎も二人ずつに分け、活動班もばらばらにし、日本語の使用は禁止。
子供達の疲れが見え始める。訳もなく、泣いている子が一人。いじけて、地面に穴を堀り、集団から離れている子が一人。
午前中は障害物競争ならびに、馬の美容コンクールだった。
馬場の中にポールが3つ。自分で右、左をコントロールして倒さないように蛇行しなければならない。それが終わったら、馬を白い大きな紙が張ってあるボードに近づける。絵の具と筆が用意してあり、馬上で、壁に何か描く。それが終わったら馬からおり、綱を引いて、自分は平均台のように長細いベンチの上を歩く。そのまま綱をひいたまま、身を屈めて低い棒の下をくぐる。
そこから出てきたら、再び馬に乗る。馬場の場外に出て、壁から木に引いてあるひももの下を馬に乗ったままうまく潜り抜け、壁の上に置いてある缶から、松ぼっくりをだして、壁に沿って馬を歩かせ、壁の切れ目に置いてある缶に再び松ぼっくりをいれる。
馬を歩かせ、坂を上る。
坂の途中にも松ぼっくりを取り出す缶が一つ。取り出した松ぼっくりを指定された箇所にそれぞれ置いてゆく。
それが終われば馬を走らせ、後は少しでも早くゴールを目指す。
最初から最後まで、先生はタイムをはかっている。まだ馬を始めたばかりの初心者も多く、さっぱり分からない子達は先生が大分手伝っていた。
中級部門の1等賞は、キュルチュール組の男の子。
一人一人競技に参加するため、終了まで時間がかかった。その間、皆自分に割り当てられた馬のデコレーションをする。
いざデコレーション品評会。皆自分が飾った馬をつれて、馬場に入る。綱を引いている。馬場に入ってぐるぐる周り始めたら、どの馬をいっせいに糞をし始めた。湯気と臭気のもうもうたるフレッシュな糞の山にもかかわらず、子供達は回る。
ストップがかかり、一人ずつ、自分の馬の連れて、審査員の前へ出る。何が工夫した点かを説明し、アピールする。キュルチュール組は声が小さかった。声さえ出ていれば、容易に伝わることが、全然聞こえず、理解されなかったのは残念だった。
馬の前髪をちょんまげ風に結んだ子もいた。ちょんまげの説明がなく、これもまた理解されなかったのは残念だった。
昼食。レンズ豆。グリーンピース、米、七面鳥のロースト、チーズ、そしてケーキ。
この日はキュルチュール組の男の子の一人の誕生日だった。長細いシンプルなキャトルカール。色とりどりのろうそくがたっている。その中に「7」と「2」の文字が。くちぐちに72歳か?と子供達が聞く。「9」だけが丁度なく、7+2=9 なんだそう。
誕生日の歌大合唱の後、ろうそくの吹き消し。金色の箱をあけると、色とりどりのテープがぐるぐると中で渦巻いている。そこからでてきたのはカラフルな独楽。
ジュヌヴィエーヴの心遣いに感謝した。
その後ひるねタイム。宿舎は遠く、昼寝の間インストラクターが一緒にいる。
それぞれ本を読んだりして休憩していることも多く、必ずしも寝ているとは限らないらしい。
この日はキュルチュール組以外の子供は帰宅の日。そわそわと落ち着きがない。
昼寝以降のアクティヴィティーはだれていた。おやつの後、もり上がりに今一つ欠けるすごろくをする。
エメラルド校長のジュヌヴィエーヴの孫娘がいた。名前はリーズ。生き生きと人なつっこい。何でも認めてもらいたい。常にほめられていたい。相当な馬の乗り手であると同時に相当な気まぐれかつわがまま。
エメラルドの活動に参加するのは、2、3才の頃から。自宅で要求される技術に飽き足らず、別のスクールに通って、訓練を繰り返しているという。
ジュヌヴィエーヴによると、この地方には、「アンデュロンス」と呼ばれる訓練があると言う。水の少ない乾いた山道など、容易ではない80キロの行程を一頭の馬の一人の人間が
ともにする。競技の要点は、いかに馬を疲弊させずに80キロもたせ、ゴールまで行き着くか。馬の健康を管理し、その時々の状態を気遣い、時としては降りて、馬を引き、困難を克服させる。
南仏は水に乏しい乾いた土地。このような訓練をするのは伝統の知恵だという。リーズはこの研修に毎年夏3週間参加するそう。
また、「アンデュロンス」を通して育てられた馬は、水分の少ない、過酷な環境に強く、この地方の南仏生まれの馬がかなりいい値段で、ドバイの市場に出されて、売られてゆくという。
いい馬を育てて、売る事も彼らの活動の一つであるという。

2008年8月9日土曜日

A droite, A gauche, Avance, Donne le talon !

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8月9日(木曜日)


朝着くと、誰がどの馬を使うのか、馬の配分が行われていた。


子供たちは、初心者、中級者、上級者の3グループに分けれられている。


馬にブラッシングをする。馬を馬場につれてゆく。


最初、初心者、小さな子たちがヘルメットを冠って馬場に入った。ひとりずつ馬の脇に立つ。乗り方を教えてもらいながら、またがる。馬にはたずなだけで、鞍はついていない。赤く、三角のプラスチックのポールを立てて、それをよけながら蛇行して進む練習。右に曲がり方、左に曲がり方、止まり方、進め方を習う。馬はおとなしくて、辛抱強い。


A droite, A gauche, Avance, Donne le talon ! が必須の言葉。


5歳の子が、見事に一人で練習を終える。


その次に中級者グループ。中級者といっても、体の大きさが前グループより大きく、年齢が違うだけで、馬に関して初心者であることには変わりがない。


練習は同様。右に曲がって、左に曲がって、止まる。進む。子供たちがしっかり分かるまで何度でも繰り返す。最後に 早足の練習になった。それぞれ、たてがみをひとふさつかんで、かかとにちからを入れて、馬の腹をけり、走らせる。


馬の振動が直に体に伝わり、相当お尻が痛いらしい。


次に数年前から毎夏きている子供達のグループ。駆け足の練習。曲がる練習は同様。その後、二つのチームに別れ、馬場の真ん中にプラスチックの台を置き、その上に大きなまつぼっくりを置く。馬を進めて、うまく馬の体を台に近づけ、そのまつぼっくりを手に取り、陣地の戻った方が勝ち。ゲームは一対一で進めるが、チームの総点数で勝敗を争う。陣地にまつぼっくりを持ってかえる際、自分の馬のお尻を敵に触られたら、せっかくの得点は失点。


中級グループもそれを見て、盛り上がっている。


馬の世話をして、昼食。


日本人同士、くっつき過ぎ。日本語使い過ぎ。


宿舎、グループの双方において、仲良しグループを分断する計画をジュヌヴィエーヴ校長に手紙で(彼女が買い物に行って不在だったので)提出。


昼食のメニューは、チーズをかけて炊いた米、麦、白身魚のグラタン、チーズ、デザートは丸ごとの桃。とてもおいしい。


子供達の話から、昨晩はキャンプファイヤーをしたということが分かった。マシュマロを焼いたりしたらしい。


夜は遅く寝て、朝は8時21分頃起きたと時間はあやふや。


午後、子供達はインストラクターにつれられて、森の中へ入っていった。森の中で劇をやったらしい。かえってきてから、折り紙を他の子にやってみせている子もいた。

2008年8月8日金曜日

ポニーに乗る

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8月8日(水曜日)

エメラルドに着くと、子供たちはすでに乗馬ヘルメットをかぶって、小さな円形の馬場にいる。インストラクターの声に合わせて馬がぐるぐる回っている。


馬にはすでに鞍が着いていた。白いポニーにしてはずいぶん大きな馬。


先ずは馬に乗る練習。馬にまたがり、横座りになり、後ろ向きに座り、また横座りになり、もとのポジションに戻る。馬の上で、右腕を前にのばし、左足を後ろにのばすポーズを取る。馬の上で、馬のおしりの方向に向かって、仰向けに寝る。最後に馬の上に立ち、両手を水平にする。再び馬の背中に座り、鞍の手前の取手を持って、馬がゆっくり走る。体を斜め後方にのけぞるよう指導される。


どの子もなんら怖じけることなく次々とこなす。


幼稚園生はその間馬の世話。ブラッシングする。馬車をポニーにつける。幼稚園生二人は小さな馬車にのって、敷地内を一時間ほど散歩する。


子供たちは3班に分けられている。母屋のドアにグループ分けの表が張ってある。


日本人の子供たちも別々のグループに入れられている。


配膳、片付けはグループごとの当番制。スポンジでテーブルを洗って拭き、皿とフォークとナイフを並べる。


昼食。赤キャベツのサラダ。ビートのサラダ。おいしい。じゃがいものピュレと焼きソーセージ。おいしい。デザートは桃一人1個。これもおいしい。


食後子供達は休憩。活動再開は3時。


3時に始まったのは、オリエンテーリング。次々と出される課題。グループで一つ一つクリアしなければ先へゆけない。


宿舎で何か探していたかと思えば、全員が竹やぶへ駆けてゆく。かと思えば、一場面ポニーをつかった場面を全員で演技しなければならず、それにオーケーでると、再び次の課題クリアーのために駆け足で立ち去る。


終了時、食事をした栗の木の下の食卓は巨大なペットボトルとコップがおかれ、みんな水分補給をする。パンを食べて、おやつにしている子もいる。


それが終わると今度は絵。ビートの汁を絵の具になにやら書いていた。


絵を書き終わったのが6時。活動終了の時刻。今晩はセーターを寝てねるように言ってから、「またあした」と言って別れる。


ロンジチュードについて7時半から夕食。トマトとチーズとオリーブととうもろこしのサラダ。ラザニア。チョコレートケーキ。どれも手作り。郷土色などなく、ただひたすらシンプルだが、ちゃんとおいしい。

2008年8月7日木曜日

4時にシャルルドゴール着

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8月7日(火曜日)


4時にシャルルドゴール着。


ちょっと迷いながら、やっと乗り換えゲートへ。セキュリティーが開くまでゲートの外で待つ。しまっている宝石店の前の床に座ってトランプゲーム。「豚の丸焼き」


再び飛行機にのり、モンペリエ空港へ。美しい地中海が見えたかと思うとすぐ着地。


さらにミニバスでラサルを目指す。タクシーのアブラムさんは小さな黒板に Lasalle と書いて、立っていてくれたのですぐに分かった。


バスは南仏の風景の中を飛ばす。「マルセルの夏休み」の舞台に似た、白い岩肌がところどころに見える、典型的なガリーグの緑の風景。川あり、谷間の小さな集落あり。左前方に切り立った岩山があり、Pic St.Loup という名前だった。


風光明媚だったが、眠かった。


La Borie Neuve le Val d'Emeraude に到着。


La Borie というのはこの地方の方言で、「家」という意味。土地の古い農家であれば、どこでもその時の所有者には関係なく、家に固有の名前がついていると説明を受けた。ここは日本語訳すれば「新しい家」。


ポニーを見る。施設全体を見る。子供の泊まる宿舎を見る。雑然たること見事な有様。グループ編成のこと、時間割のこと、詳しい段取りを具体的に聞き出そうとしてもリズムが合わない。


子供たちの安全だけ確かめ(宿舎は台所から非常に離れていて、温水シャワーがあるだけで、出火原因になりそうなものはなかった/窓の位置等について子供が下に落ちる心配はなかった)、段取りは突き詰めることはせず、ここの流れに任せることにする。


走り回る子供達。部屋よりも外のテントで寝たいという子供達。すぐになじんで、他の子供たちとともに、食事の後、昼寝のために宿舎(小さな家)に吸収されていった。


4人の小学生をこの場に残し、大人と幼稚園生はジットロンジチュードへ再びタクシーで向かう。私たちが車で出るとき、昼寝を終えて、走ってくる小学生たちが見えた。


この日、予定にはなかったにもかかわらず、小学生は着いて早々ポニーに乗った。


部屋は寒く、歯が鳴るほどだったと翌日子供たちから聞いた。次の夜はセーターをきて寝るように言う。

2008年8月6日水曜日

成田出発

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8月6日(月曜日)

成田出発

飛行機の中の子供たちの様子

3人で同時に同じアニメを見て、笑っている。終止なごやかにふざけ合う。

食事のあと、1時間強で就寝。映画を見るも、3人同じ方向に倒れて寝ている。

6時間は睡眠をとった模様。

起きてから、3人とも日記を書く。「日記はみんなフランス語で書くんじゃないの?」と不思議な様子のひとりの女の子。「あたしはまだまだ読みが弱くってさあ、日本語で書くよ」ともうひとりが答えている。3人で色鉛筆の貸し借りして書いていた。

朝ご飯食欲なし。

2008年8月5日火曜日

南フランス 子供ポニーフランス語 研修旅行 報告

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南仏で、現地サマースクールに飛び込む、

セヴェンヌ 子供フランス語研修旅行

フランス語を学ぶ子供達が、フランスの子供達と遊び、フランス語を生き生きと使う機会を与える。

セヴェンヌの自然に触れる。自然の中で、沢山体を動かす。

「子供達に格別の夏休みを」という願いから、ラングドック?ルーシヨン地方、Gard県のLasalle で子供フランス語研修旅行を開催。

子供達が滞在したのは、Les Poneys du Val d'Emeraude (エメラルドの谷間のポニー)という名のポニースクール。

11ヘクタールの敷地に、マスと呼ばれるC?venol(セヴノル)山中に典型的な伝統様式の農家が3件。18世紀築。この農家を寮にして、6才から13歳までの22人が生活。敷地は、小川に囲まれ、後は、放牧場と森。

とっておきの環境の中で、忘れがたい滞在を子供達と分ち合うことを目指し、子供を受け入れてすでに35年、子供専門のポニースクール・サマースクール。

校長は女性で、ジュヌヴィエーヴ・ラフックス。

ここでの活動は、ポニーの世話、ポニー乗馬の基礎、ポニーで散歩、徒歩で散歩、キャンプファイヤー、星を眺める、農場にいる他の動物の世話、山小屋(子供達の秘密基地)作り、夜お話を聞く、みんなで変装、村祭りへの参加、など。

泊まれるのは、6才以上13才まで。

今回の旅行に日本から参加したのは、3年生が3人。フランスに住んでいる2年生が1人。

6才以下の幼稚園生は、お母様とともに、近くの民宿ロンジチュードに泊まり、毎日、エメラルドに通いました。活動開始は10時。9時40分にタクシーで迎えに来てもらい、活動終了の6時に再び迎えにきてもらう日々。タクシードライバーは、アブラアムさん。

旅行を企画し、子供達に付き添った私(マガロン依子)も、近くの民宿に泊まり、毎日通いました。

以下、この夏の 子供フランス語ポニー旅行 の報告です。